jiangmin's notepad

Jul 21
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知り合いの劇画原作者に聞いた、ある病院での話。

そこの病院の某科部長は、新しくやってきた研修医のうちのひとりを、いつも「標的」にしていた。

カンファレンスでは、そいつがプレゼンテーションをするときには、これみよがしに厳しい質問をして、「お前はバカだ」と徹底的に責め立てる。

その一方で、他の研修医には、そんなに酷く突っ込みを入れずに「次までにちゃんと勉強しておけよ」と手加減してやる。

すると、どうなっていくかというと、

「ターゲットにされた一人を除く研修医」たちは、みんな、その部長を好きになるのだ。

アイツはいつもイジメられているけど、それはアイツが無能だからだ。ちゃんとすれば、あの人は優しくしてくれる。

そもそも、もし逆らったりして、自分が標的にされたら、大変だし……

そして、彼らは、部長と「仲良く」「和気あいあいと」して、「あそこの科は、いつも仲がいいねえ」なんて、病院の偉い人から一目置かれる。

Jul 17
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特に障害やらでまともに労働社会に参加できない人間は、ニュースなど見て暗い気持ちになる事が多い。

私がそうなのだが、ニュースを見て分析・考察をしても、社会はとても非情で自分はとても無力であることがわかるだけである。

これは精神的にくる。特に社会との接点がない無職にはズシンとくる。

もう、ニュース見る時間を映画やアニメにまわしたほうが絶対に健全である。

結局「下手の考え休むに似たり」という言葉につきる。

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野菜工場は農業近代化補助金などでじゃぶじゃぶに金が出るので、設備販売はしこたま儲かるがまともに計算すると赤字という歪んだ状態が長く続いている。
Jun 26
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あとがきに、「強者が弱者を虐げないように、正義が孤児と寡婦とに授けられるように」の文言がある。社会正義を守り弱者救済するのが法の原点であることを世界で2番目にふるい法典が語っていることは現代においても注目される。
May 08
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カメラを買うときには、僕は写真機としての性能をまったく気にしない。そうではなくて、見た目の形で選んできた。カタログを見て格好が良ければ実物を見にいく。そして手に取ってみる。僕の手に馴染めば、それで決まり。レンズが幾つだとか、解像度がどうだとか、そんなことはまったく問題外だ。この評価基準は、カメラだけでなく、自動車やオーディオや、ようするに自分の近くに置きたいメカのすべてに対して共通している。
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hitujijp:

実は、外出用に懐中時計を持っている。 大抵の人は、携帯電話があるから、時計なんて無くても済むのかも知れないが、 携帯電話を持たない主義(あんなものはタダでも要らない!)な上に 金属アレルギーなオレにとって、非常にありがたいアイテムなのだ。 ちなみにこの時計、なんと全部歯車とゼンマイ仕掛けで 一見高価そうに見えるのだが、千数百円で輸入したものだったりする。でも可愛いんだよコレが。 使う時に、いつもジーコジーコ・・・とゼンマイ巻いて。 時刻を合わせて・・・ってアナログ感、そしてカチコチと小気味良く回る歯車。 これなら電気が無くなっても安心だな! と、のたまってしまいそうだけど、 実際は、電気なんてコイルを巻いて回せば生まれる訳で、 単純にアナログ、デジタルと分けてしまうのはナンセンスかもしれない。けど例えるなら、オレ的には「時計という名の国旗」みたいなものだろうか。 元々、始まりの時計が日時計だったとするのなら、 つまるところ、そこにあったのは「太陽と陰」 そして天体の測定に端を発する天文学であり、 やがて人は天体の運行を歯車に置き換える事を思いついた。 ぶっちゃけ2000年以上前の「アンティキティラ島の機械」からして 大まかな構造って通じるものがあるし、 しっかりメカニカルウォッチにも受け継がれてるんだよな。 強いて述べるなら、この機械屋根性と、閃きの歴史が好きなのかもしれない。 あと大昔の技師からすれば、 「未来人も、まだメカニカル使ってる」なんて、そこはかとなく嬉しいだろ?

hitujijp:

実は、外出用に懐中時計を持っている。

大抵の人は、携帯電話があるから、時計なんて無くても済むのかも知れないが、
携帯電話を持たない主義(あんなものはタダでも要らない!)な上に
金属アレルギーなオレにとって、非常にありがたいアイテムなのだ。

ちなみにこの時計、なんと全部歯車とゼンマイ仕掛けで
一見高価そうに見えるのだが、千数百円で輸入したものだったりする。

でも可愛いんだよコレが。

使う時に、いつもジーコジーコ・・・とゼンマイ巻いて。
時刻を合わせて・・・ってアナログ感、そしてカチコチと小気味良く回る歯車。

これなら電気が無くなっても安心だな!

と、のたまってしまいそうだけど、
実際は、電気なんてコイルを巻いて回せば生まれる訳で、
単純にアナログ、デジタルと分けてしまうのはナンセンスかもしれない。

けど例えるなら、オレ的には
「時計という名の国旗」みたいなものだろうか。

元々、始まりの時計が日時計だったとするのなら、
つまるところ、そこにあったのは「太陽と陰」

そして天体の測定に端を発する天文学であり、
やがて人は天体の運行を歯車に置き換える事を思いついた。

ぶっちゃけ2000年以上前の「アンティキティラ島の機械」からして
大まかな構造って通じるものがあるし、
しっかりメカニカルウォッチにも受け継がれてるんだよな。

強いて述べるなら、この機械屋根性と、閃きの歴史が好きなのかもしれない。

あと大昔の技師からすれば、
「未来人も、まだメカニカル使ってる」なんて、そこはかとなく嬉しいだろ?

(via taichann)

May 07
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南直哉:
つまりその、いまのいじめの問題もそうなんですけども、自己であるってことは負わされるわけですから、我々は。肉体もそうでしょ。それから、命名って行為によって社会的自己も負わされるんですわ。で、負わされるということで、立ち上がるんです、我々は。だれか受け取る主体がまずあって、決意とともにその名前でいいですよ、この体でいいですよ、っていうわけじゃないじゃないですか。

そうすると、負わされるということで立ち上がるんですから、最初からこの人は、負荷がかかっているわけですよ。しかも自分の責任ではない。そうすると、その、最初からたぶんね、自己の存在根拠とか存在理由をめぐる闘争のなかに入ってしまうんです、人間っていうのは。

宮崎哲弥:
闘争っていうのは戦いですか。

南直哉:
そうです。自己の根拠なり、自分の居場所をめぐる闘争のなかに入ってしまう。最初にその闘争を助けるというか、そうやって生まれてきた人間の最初のちからを与えるのは、やっぱり全面的に生まれてきたっていうことを喜んでくれる誰かしかないと思うんですよ、ぼくはね。それが例えば本当だったら、あるいは、いまも大抵はそうでしょうけど、両親。はっきり言えば母親なんですわ。

ところが、これが最初でこじれると、闘争の基礎資本を欠いてしまうから、後、非常にきついんだと思うんですよ。そうすると、ここを埋めるのに、根拠をめぐる闘争となると、なにかで埋めなきゃなんないですから、こう、いろんな工夫をする。その時に、ある人たちは他者に暴力的な行為を加えたり、他者を排除するということで、むしろ自己のちからを備給するという力学が、人間関係のなかで働くんじゃないのかな、と思います。

というのはね、いじめの現場を見ているわけじゃないですが、わたしの経験から言って、いじめる人間っていうのはね、必ず自己正当化するんですよ。相手が悪いんですわ。で、しかも必ず1人なんです。で、こっちは共同なんですよ。で、相互承認するわけです。そうだそうだって。つまり、あの形は、やっぱり自己承認をめぐる闘争のなかにある非常に切ない形態だと思いますよ。だからぼくは、いじめの問題で一番興味のあるのはいじめる側なんです。

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30年前に徳山ダム予定地で水没する運命だった徳山村に入って民俗調査したとき、飲み屋のママが「「毎晩、若い衆が「やらせろ」と忍んでくるので本当に困る」」 とこぼしていた。徳山など西日本の閉ざされた村では、後家さんが若衆の性教育をする義務があった。

 女子は初潮が来れば離れに住まわせ、赤飯を配った。これが「おいで」の合図で、その晩から近所の若衆が娘の元に夜な夜な忍んでくる。これを「夜這い」と呼び、1960年代まで、西日本では、ありふれた習俗だった。

 当然、子供ができるが、お腹が膨らめば、娘は忍んできた若衆のなかから一番気に入った男を夫に指名する権利があった。若衆は、これを拒否することはできなかった。もし拒否すれば、村から叩き出されるほどの指弾を浴びた。 

夫指名はお腹の子の種男である必要はなかった。どうせ、生まれた子供は、村の共同体みんなで育てるのであって、誰の子でも構わないのだ。子供は村全体の財産であり、みんなで育てる義務があった。村の共同体では、困ったことは、みんなで相談して解決するのであって、一人でも飢える者を出すことは許されず、餓死するときが来れば、みんなで一緒に餓死したのである。そこには貧しくとも、孤独という苦悩は皆無であった。 
やがて若衆が都会に出るようになり、都会の家畜的労働者の習俗を村に持ち帰ることによって、夜這いも廃れ、共同体も瓦解していったが、祭りなどには、そうしたフリーセックスの習慣が遅くまで残り、1980年代まで村の祭りは無礼講であり、どの人妻と寝ても良かった。

できた子供が、父親の子である必要があるのは、権力と財産を相続する必要のある名主や武家に限られいて、共同体生活をしてきた民衆には、受け継ぐべき権力も財産もなく、したがって父の子を特定する理由がなかったのである。

May 02
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ウチの親は過ぎるくらいの安全運転で、
制限速度なんかで走ってるとよく煽られたりクラクション鳴らされてた。
んで、こっそりと「○○会」っていう架空の団体のステッカー作って
貼っといたらパッタリと煽られなくなった。
近づかないと読めないくらいだし、何の組織とも分からんような名前にしといたんだけどね。
意外と良く相手を見て喧嘩売ってるんだな。
May 01
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消費者のニーズは多様化し、街は若者向け、あるいは中高年向けといった具合に分化し、商店やデパートにも多様なニーズに合わせて多種多様な商品が並んでいるように見える。私は、しかしこの「多様なニーズ」などという言葉も、実は多様でも何でもなくて、ただ供給側が消費者の欲望を刺激するために作り出した虚構であると思う。ほんとうは、消費者のニーズは多様化などしていない。ただ過剰な商品が過剰な欲望を喚起しているだけであり、消費の選択肢が膨らんでいるように見えるだけである。つまり個人の欲望が限りなく細分化されているだけである。
平川克美『経済成長という病』p92(講談社現代新書2009年) (via yaosuke)

(via taichann)