jiangmin's notepad

Apr 04
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小松左京『日本沈没』に登場する大人たちは首相はじめことごとく責任感の中で苦悩し立派だった。あの作品の何がいちばん「有り得ないSF」だったかといえば、日本が沈む事ではなく(それはほとんど実際に起きてしまった)、「国家の危機に際し立派な大人がちゃんと居る」という点だったのだ。
Mar 28
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「コーヒーは嫌い。だけどコーヒーの香りは好き」そう彼女は言った。ドリップ式で抽出したばかりのコーヒーを楽しみながら私は言った。「女性は嫌い。だけど女体は好き」
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Mar 16
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  • 過去に精神がアレになって休職をしたことがあるんだけど、アレになる直前は記憶力が完全に壊れてしまって、たとえば『この資料のコピーを100部とってください』とお願いされたら資料をコピーするという行動までは記憶できるんだけど、何部必要なのかとかが記憶できなくて聞き返したりしていた。
  • https: //twitter.com/researcher001/status/442167595257430017
  • なので回りの人が変な質問とかするようになったら精神がアレになっている可能性があるのでちょっと気をつけたらいいと思います。俺は記憶力がおかしくなっても『まあメモを取ればいいか』と普通に仕事をしていました。アレになってるのわからなかったんだ。思い返すと完全にアレなのに。
  • https: //twitter.com/researcher001/status/442168326135881728
Mar 07
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(via taichann)

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子ども達は学習能力に優れているので、社会の規範意識をしっかり把握して、正確にインストールしながら成長していくだろう。

 ・叩いてOKと公認された相手は、罵倒しても土下座させても構わない。

 ・警察が介入しない範囲なら、過失・落度のあった者をリンチして構わない。

 ・いったん悪者認定された相手に慈悲をかける必要は無い。

 ・叩かれた相手が後でうつ病になるかどうかなんて考える必要は無い。

 どれも、オトナがやっていることであり、テレビやネットを通して日常的に観察される風景だから、子どもがそれを模倣・内面化しないわけがない。上記のようなジャスティスは、大人から子どもへと引き継がれていく。そして子ども自身の手によって実行されていく。

 すべてのいじめがこうだとは思わないが、多くのいじめには、こうした無慈悲な規範意識が潜んでいるのではないのか。

Mar 03
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 人間は、おまえはばかだとたびたび言われると、そう思いこみ、またおれはばかだと自分にたびたび言いきかせると、そう思いこむようにできている。人間は一人で自分と内的な会話をするからである。そこでそれをよく調節するのがたいせつである。〈悪い交わりは、良いならわしをそこなう〉われわれはできるだけ沈黙し、われわれが真理であると認めている神とだけ語らなければならない。そうすればわれわれは真理を自分に納得させることができる。
— 『パンセ』 パスカル 中公文庫 P330 (via manmaruhana)

(via taichann)

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たとえ話ですが、以前に、古物商の跡継ぎを育てるというエッセイを読んだことがあります。古物商には偽物がたくさん持ちこまれます。それに対して、形式合理性で考える人は、時代考証を勉強すればいいというかもしれません。

しかし時代考証的には完璧な偽物もあれば、時代からはずれた本物もあります。そもそも若い小僧さんは、知識など詰め込んでも、どうせ勉強なんかしないし、わからない。それよりも、本物のいい骨董品だけ見せるのだそうです。偽物は見せてはいけない。本物と偽物を比較対照させたりすることもしません。

そうしてある閾値を超えると、本物の骨董品だけ見続けた小僧さんは、時代考証の知識などなくても、偽物が入ってくると「あれ、何か違うな」と感知するようになります。そのような能力こそが重要なのであって、それを身につけたあとで時代考証を勉強すればいい。時代考証は、なぜこの品はだめなのかをお客さんに説得するときに必要であって、古代ギリシャでいえば「雄弁術」に属するものです。

小熊英二『社会を変えるには』, P241

本物の骨董品だけ見続けた小僧さんは、時代考証の知識などなくても、偽物が入ってくると「あれ、何か違うな」と感知するようになります。

(via nobabaclip)

(via taichann)

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幼稚園や養護学校に行くと、幼児や障害児が初めて出会う大人を実に的確に識別し判断していることに驚く。彼らは、人のたたずまいや息づかいを一瞬のうちに感受し、その大人が自分を守り願いを聴きとってくれる存在なのか、それとも自分と敵対し願いをふみにじる存在なのかを見ぬいてしまう。その識別や判断は、もちろん言語化された認識によるものではない。相手の息づかいとたたずまいの中にすべてを読み取っているのである。その卓越した能力はむしろ彼らの未発達な状態の所産であることが重要である。幼児や障害児の身体は、それぞれ独自の存在空間を生きている。身体空間として意識される彼らの存在空間に侵入する大人は、彼らの身体への侵入者に他ならない。その違和感あるいは安堵感が、彼らが大人を識別する根拠となっているのだろう。しかし、自他を言語によって分節化し、自らの身体をも意味の空間において意識する大人はそうはいかない。身体が認識する能力は身体の認識を認識する能力と入れ子構造をつくりだしているのである。
栗原彬・佐藤学「身体をめぐる断章」(『身体:よみがえる』シリーズ越境する知① 東京大学出版会/2000)001 (via yaosuke)

(via taichann)

Feb 16
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ところで、江戸時代までと明治以降で「一倍」の意味が違っていること御存知かな?
江戸時代までは1倍=×2の意味で、その上は順送りでずれてゆく。
西洋数学が導入されて学校教育とともに現在の使い方が普及。

元の「一倍」の使い方は、今でも「人一倍努力した」という用法にその名残がある。
Jan 08
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「まず、裸で包丁を握って、おネギを刻んでみて下さい。いかに、服を着ていることで、皮膚感覚が鈍っているかを実感するはず。人によっては、怖くなって包丁を置いてしまうかもしれませんね。普段は顔と手しか皮膚をさらしていないのだから、仕方ありません。全裸で過ごせば、外界を感知するための『五感』が研ぎ澄まされていく。脳の活性化にもいいようです。私も仕事に行き詰まった時には、自宅へ戻って全裸になる。不思議と、いいアイデアがポンポン浮かんでくるんです」